東京築地 恭川
入口

「割烹」とくれば、まず初めにその語源から説明するのがものの順序のようである。

 「割烹」という語は、孟子の書にも出てくるというから中国で生まれた言葉であり、古くから調理のことを指して使われていたようである。
 「割」とは「分かつ」。すなわち、切る、割る、裂く、剥がす、削ぐ、むしる、ということ。食材を自然の恵みから得た最初に行う調理技術が「割」である。何も手を加えずにそのままかぶりつくなら調理(料理)とはいわない。料理の一番最初に行う「割」は、それによって食べ易い大きさにするということと共に、その素材を荒振る自然界から切り離し、人の世界に取り込む、という心があるようにも思う。
 「烹」は煮炊き。火を入れること。漢字の知識はないが、蓋をした鍋を火に掛けている様がその字となっているように見える。そういう意味では「割」も動物か魚の身体に右から包丁を当てているようである。「煮炊き」ということは、切り分けることと並んで調理の基本である。まあ食材は大概生で喰って構わないし、その方が旨いしビタミンやミネラルも豊富に採れる。しかし火を入れることによって、食事というものがそれまでのものとはガラッと変わった。単に腹を満たすだけの行為であった食事が、味を楽しむものに変わり、調理という仕事さえ生んだ。衛生面と保存の面でも改善されたのは言うまでもない。「烹」によって人は食べ物の、もうひとつ違った美味しさを知ることができ、味わう、ということの奥深さを限り無く発見し続ける旅に踏み出していったのである。
 調理、または料理という技術が生まれた大本には、この「割」と「烹」があるということである。
 調理を行うのは人だけである。畜生と人間との根本的な違いに、道具を使って食材を切り分けること、火を使って調理することがある。「割烹」とは、そうした、人を人たらしめている基本的なところに、料理があるんだよ、ということを教えているのではないだろうか。
 「割」は切る、「烹」は煮るの意だ、ぐらいのことはどこの書にも書いてある。しかし「割烹」という言葉を考える時、それは技術、形だけではなくて、その芯の深いところに上に述べて来たような精神が置いてあるように思えてならない。
 
 さて話しが長くなった。デジぶらでは「日本の食」シリーズのひとつとして、割烹の世界を垣間見ようと思い立ち、東京築地にお店を構える「恭川(やすかわ)」さんのところにお邪魔した。美味しい素材をどのように「割」し、どのように「烹」して膳に上げるのか。とりあえずその一日を密着取材で攻めてみようでないの、ということで始まったのである。構成は「漁(仕入れ)」、「割(切り分け)」、「烹(調理)」、「膳(供応)」の4部に分けてご覧頂く。

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