第一日目

2. 瑞泉酒造株式会社

 沖縄第一日目の午後は、創業百十余年、首里城のすぐ下に居を構える泡盛造りの老舗「瑞泉酒造株式会社」を訪ねた。名酒「瑞泉」には日頃ずいぶんお世話になっているので、その製造現場はどんな雰囲気なのか是非見てみたいと思ったし、ひょっとすると思わぬ良い酒の試飲なんかもさせてもらえるんじゃないかというスケベ心もあることにはあるのであった。
瑞泉酒造外観
 石畳道からは車ならすぐのところである。20分も早く着いてしまった。外観は住宅街に溶け込んでいて看板がなければ通り過ぎてしまいそうである。
瑞泉酒造シーサー
 さすがシーサーも御立派な!
エントランス
 エントランスホール。見学者はここで古酒(クース)の試飲をさせてもらえる。事前に連絡をしてあったので我々が訪れると担当の倉嶋陽子さんがすぐに応対に出てきてくれた。笑顔の明るい方で、しかもデージチュラカーギ(どえらい美人!)。わーい。
佐久本氏、倉嶋氏
 会長にお会いしたいのだがというと、調子の良い時は工場内を見回りに出てくる。出てくるかどうかは分からない。出てくるとすればそろそろだ、と倉嶋さん。何だか西表島あたりの珍獣みたいですね、といいそうになった。そんなことを話しながらさっそく古酒をごちそうになっていると奥からよちよちと御老体が。出た、珍獣、いや会長! 俺達はラッキーだ。倉嶋さんから話をしてもらうと会長は大変ににこやかな笑顔で俺達を迎えて下さった。佐久本政敦(さくもとせいとん)氏、92才!。右は倉嶋陽子さん、んん才。
語る佐久本氏
 佐久本会長は1909年(明治42年)、首里の造り酒屋(現、咲元酒造)の次男として生まれ、24才の時に結婚した奥さんの実家、喜屋武酒造場を手伝うことに。喜屋武酒造場では当主がなくなった後、義母が家業を継いでいたが、1935年(昭和10年)佐久本氏が代わって酒造免許者となり、名称も「佐久本政敦酒造場」に改めた。瑞泉酒造株式会社の前身である。「瑞泉」の銘柄は先々代の喜屋武幸永氏の命名。首里城の名泉「瑞泉(通称は「龍樋」:第一日目、1.首里城参照)」からとったという。
昔のサカヤー写真
 昔のサカヤー(造り酒屋)。軒下に並べられた瓶、煙突、畑、石垣などが見える。隣近所すべてがサカヤーみたいな時代である。
戦前航空写真
 戦災で失われる直前の首里城と瑞泉酒造(赤枠内)周辺。一帯は鳥掘、赤田、崎山の三町を差して「三箇(サンカ)」と呼ばれ「泡盛村」として知られるほど泡盛のサカヤーが数多く密集していた。太平洋戦争の沖縄決戦では軍指令部が首里城に置かれていたために米艦隊のすさまじい砲撃、いわゆる「鉄の暴風」の集中攻撃を受け、城はもとより泡盛村も泥と灰の下に消滅した。
語る佐久本氏2
 泡盛村の工場は全て崩壊し、原料米の入手は不可能に近く、何といっても泡盛の命とも言える「黒麹菌」を失ったことは泡盛の死をも意味する。壊滅といっても良いような打撃を受けながらもチョコレート、芋、蘇鉄の澱粉などから粗悪な酒を造らねばならない時期がしばらく続いた。そんな中、佐久本氏の兄、首里酒造廠を取り仕切っていた佐久本政良氏が焦土の下からニクブクを見つける。ニクブクとは蓆のようなもので泡盛の麹米をつくる際にこの上に蒸米をひろげ黒麹をまぶすのに使ったものだ。これをほぐして蒸米にまぶしたところ、24時間後に米は黒色に変化していた。黒麹菌は生き残っていたのだ。原料米の入手は依然難しい状況にあったものの泡盛の復興への道がこうして開かれた。
米
 原料米はタイ米である。内地米は使わない。粘り気の強い米は泡盛の製造に向かないからという説がある。古くは中国米を使ったという資料もあり、沖縄で作られる米にも粘りの少ないインディカタイプの米があったという。アジア諸国との活発な交流、貿易を行っていた琉球王朝時代に生まれた泡盛の歴史がここにも表れている気がする。ちなみに古代インドサンスクリット語で酒のことを「アワムリ」という。泡盛の語源かどうかは定かでないが怪しい気はする。
黒麹
 黒麹菌の着いた蒸米。黒麹菌は沖縄独自のものであり、それが独特な泡盛の風味を生んでいる。九州では白麹菌を使い焼酎となった。
製麹
 製麹機。蒸米に黒麹菌を散布し、40度の温度を保ちながら2日かけて麹の熟成を行う。
仕込みタンク
 金網の下に巨大な仕込みタンクが並んでいる。熟成の済んだ麹に水と酵母を加えて“もろみ”をつくり、発酵させてアルコール濃度をあげていく。
蒸留機
 熟成したもろみを蒸留すると泡盛の原酒である。
瓶
 泡盛の原酒を貯蔵タンクで熟成させる。今回は貯蔵タンクの方は見学しなかったが、エントランスホールの隣に昔ながらの雰囲気を醸す瓶による貯蔵の様子が見られるようになっている。蒸留酒は貯蔵期間が長い程、風味が増す。泡盛で古酒とうたえるのは三年もの以上。試飲では15年、20年という古酒を飲ませて頂いた。アルコールの刺激をまろやかに包む甘味とこくが古酒の持ち味である。昔は二百年、三百年というものがあったという話しも聞くが、おそらく今もどこかに存在するのだろうなと思う。
ビデオ
 概要ビデオの視聴は見学コースの定番ですね。
青いビン
 沖縄ガラスを使った商品。
商品
 エントランスホールでは瑞泉の様々な商品を購入できる。
古酒の瓶
 御祝い事に瓶を。自分で貯蔵しておいて古酒にすることもできる。
うさき
 1999年に発表した「御酒(うさき)」。応用微生物では世界的権威であった東京大学の坂口博士(故人)が戦前の沖縄で採集していた黒麹菌を使った泡盛。製法も手作業でやっていた戦前のやり方にこだわった。実現は困難といわれていたが成功した。“うさき”とは銘柄の区別もなくどこの酒造所で作ったものでも“うさき”と呼んで売り買いされていた戦前までの呼び方に因んだ。ウチナーグチ(沖縄語)はエ、オの母音がないのでオはウに、ケはキになる。
自著に署名
 自著「泡盛とともに」に署名を入れて僕達にくださった。
著作「泡盛とともに」
 「泡盛とともに」佐久本政敦
 瑞泉酒造株式会社刊
乾杯!
 自ら僕達に何度も酒を注いでくれ、自身も一緒に泡盛を召された。1936年(昭和11年)に泡盛キャンペーンで作られた「酒は泡盛」の歌をお願いすると(倉嶋さんは、会長は一度歌い出すと永遠に止まらなくなるから、といって警戒していたが)心良くご承知下さり、まだまだ張りのある声で高らかに唄ってくださった。3番で止まったので、ほっとした倉嶋さんを始めオフィスの方々もスタンディングオベイションである。九十を超しているとは思えない程元気なおじーであった。
会長、倉嶋さん
 佐久本会長、いつまでもお元気で。倉嶋さん、大変お世話になりました。
古ポスター
泡盛のPRポスター 1935(昭和10)年頃
瑞泉酒造株式会社
沖縄県那覇市首里崎山町1-35
フリーダイヤル:0120-48-1968
ホームページ:http://www.zuisen.co.jp/
Eメール:zuisen@ryukyu.ne.jp
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