第二日目

5. サンパウロの丘

 地図を見ていて「サンパウロの丘ってなんだ」と上間沖縄支部長に尋ねてみると「さあー、なんでなのかは知らないけど昔は安保の丘っていってたよ」んーむ、不覚であった。そういえば嘉手納飛行場が見える丘があるってなんかで聞いたことがあった。沖縄は基地の中に街がある。嘉手納の街は本当にそんなところなのだ。北に接する読谷村は極東最大の弾薬庫、南は北谷、沖縄市に食い込むほどの沖縄最大の米軍飛行場施設である。地図上で見ると嘉手納町の行政区分の8割以上が米軍施設になっている。ちなみに嘉手納飛行場の南側に米軍の居住地区があり、その南にあるゲートがコザの街への出入り口である。端から端まで5キロは軽くある。大は超大型爆撃機B52から小はF14戦闘機にいたるまでありとあらゆる軍用機が離発着する飛行場だ。いうまでもなく極東戦略の中心となるベースである。 しかし、今日は土曜日、アメリカさんも週休2日でお休みの日だった。戦闘機の離発着もない。「普段はすごいよー、やかましくて話もできない」と上間は言っていた。
丘
 国道58号線、嘉手納ロータリーを東に折れ、県道74号線を2キロほど進むとサンパウロの丘がある。実は相当に高い丘を想像していたので見過ごしてしまいそうだった。丘に上る階段がしつらえてある。
輸送機1
 ゆっくり動いているのは人員輸送機。近場の(台湾とかフィリピン)の基地から休みを利用して沖縄に遊びにくる兵隊さんたちが乗っていると、ここで露店を構えるおじさんが言っていた。
輸送機2
 もとの基地に帰っていくのかな。
見学者1
 露店の脇に立てられたスコープで遥か彼方の戦闘機に目をこらす。サンパウロの丘という名前に引かれてやってきた東京の女子大生3人組み。
売店1
 露店でサンパウロの丘の思い出にちょっとお買い物。巨大な薬莢や中古の軍用日常品がぎっしり並んでいる。
売店2
 勲章なんかも並んでいた。「こんなの貰ったって本国じゃなんの役にも立たないからと、帰還兵たちが安い値段で置いていくんだよ」と、おじさん。運動会で一位になったメダルは500円、グリーンベレーがフィリピンで武勲を立てたらしい勲章が2800円也。
売店3
 「あら、この飛行機の写真、孫が喜ぶわ。お兄さんいくら」とオバさん連。4枚1000円のところ、800円に値引きさせていた。
見物1
 のどかな風景ではあるが、駐留米軍と沖縄との軋轢は近年無気味な不協和音を発し始めている。
見物2
 あの悪夢のような戦争ではげしく傷付いたウチナンチュの心は、まだふとしたことで鮮血をほとばしらせる。
抗議運動1
 “なぜこのうえ私たちの土地に米軍は居座るのか、なぜこれほどまでに虐げられなければならないのか”
米兵による婦女暴行事件に対する那覇市内の抗議運動
ゲート
 “私たちはいったいいつまでこの状態に我慢し続けなければならないのか”
ゲート通り(空港通り)突き当たり、南ゲート。
抗議運動2
 “昔の平和だった頃の沖縄を返して欲しい”
抗議運動3
 米軍と日本政府への恨みの声は益々大きい。
抗議運動4
 しかし基地のお陰で生き延び復興できたという部分もあるのも事実。
ゲート通り
丘の上の風景
 基地を覗くこの丘は、ウチナンチュの複雑な心境の狭間を想像させる、そんな場所でもあった。
離陸1
地響きを伴ったジェット音が、おいらの茹で上がった脳みそをてっぺんから叩きつぶす。
番外スペシャル
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