第二日目

6. 残波岬

 そうだ、まだ沖縄のリゾートビーチを見ていない、と思ったツキは近場でどこかないかな、と思ったわけである。帰りの集合時間も多少気にするとそんなには遠くまで行かれない。そうだ、どうせなら基地つながりで読谷の夕日でもみてみようかな、と思ったのである。読谷村も嘉手納町に劣らず基地の町である。戦後すぐは9割以上が米軍施設であったが、村長以下、すべての住民の努力により、現在は半分になった。土地の強制使用の期限切れで楚辺通信所(通称ゾウの檻)周辺がテレビに出ていたことも記憶に新しい。また、沖縄戦で米軍の最初の上陸地点でもある。あとで知ったことだが、米軍上陸のすぐあと、チビチリガマという鍾乳洞で八十二名の村民が集団自決したのもここ読谷村である。ガマでの戦争体験については第3日目のデジぶらでレポートすることにして、とりあえず今回は残波岬ビーチから夕日を眺めてみた。
読谷1
 嘉手納から残波岬へ行く途中、読谷補助飛行場跡に立ち寄ってみた。もともと日本軍が建設した飛行場だったものを米軍が上陸後すぐに接収し現在に至っているが、土地返還の努力によりこの施設跡地は村民の元に返りつつあるようだ。
読谷2
 最長2キロにわたる滑走路跡。いまだに米海兵隊施設の中には違いないのだが、村民はその真中に役場や運動公園を建設し堂々と利用している。滑走路の右手奥に赤レンガの庁舎が見える。
読谷3
 広大な敷地を何に利用すべきか。
読谷4
 沖縄が隆起珊瑚礁のでっかい塊であったことを思い起こさせる証拠だ。海岸の黒い岩にはすべて珊瑚であった痕跡がみられる。
ビ−チ1
 読谷の残波ビーチに着いてまずは海を目指す。
ビーチ2
 不自然な形に切られたような岩。このあたりには非常にたくさんある。実は「宇座石」もしくは「ビーチロック」といい、建材として切り出した跡だそうだ。サイコロ状に切り出して住宅の塀として積んだり、細長く切り出して家畜小屋や井戸の柱に使ったそうである。大正時代から昭和16年頃まで切りだされ、本島内や離島でかなりの数が使われたそうである。「この石は濡れていると何故か切りやすいんですよ。乾くと硬くて刃が立ちませんが、ですから丈夫なものなんです。今でも古い民家の井戸や塀に残ってますよ」と役場の人が言っていた。
ビーチ3
ビーチ5
 何年かけてここまで削れちまったのかね。
沖
 ただひたすら穏やかなる海。米軍上陸の時には沖から艦砲射撃が雨あられと降ってきたそうだ。いわゆる「鉄の暴風」というやつだ。しかし今この時ばかりは平和である。
花
残波大獅子
 ビーチのシンボル、残波大獅子。体高7メートル。毎日日焼けしてます。ウギャオーと夕日に向かって吼えてます。足元にはタクシーをチャーターした女子高生がよくきてくれます。カメラマンは運転手さんさー。
残波岬の上
 残波岬の上でバックパッカーが何組か野営をしていた。アッチイだろうにご苦労さんだよ。でも夜になったら満天の星が君らを包んでくれるのさ。落ちんなよー。
ミサキ
 あくまでも光あふれる沖縄の海。「ねえ、ちょっとおー、歩きにくいわー」はいはい、その通りだねー、気を付けて下りるんだよー。
二人
 なんとなくペアルックのお二人さん。幸せそうだねえ。さっきから30分も固まってるねえ。尻が岩から抜けなくなっちまったかなー。
海
 波がザバーン、ザバーン。ザワー、と引いてまたザバーン、ザバーン。時々、ザン、バーン・・で残波岬。
波間
 夕方6時だというのにまだ日が落ちない。白い波しぶきが泡となり消えていく。気温は高かったが眠くなるような心地よさであった。
第二日目
7. コザ その2 へ
沖縄トップページへ
デジぶらトップページへ
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送