第三日目

10. 美里 &コザその3

 勝連城を後にしたSatosi は、まだ朝の早い海岸線を具志川に向かって原付きバイクを走らせた。この日は日曜日であり、海には釣りを楽しむ人達、キャンプを張って酒盛りをする人達(!?)、ただ呆然と海を見つめるおじさん(ホームレスだったかも知れん)、いろいろいたが特に報告する程の風景はなかった。すでに太陽光線は殺人的熱線を叩き付けて来ており、45キロ以上出すとピーピーとやたらうるさくって乗っていられないレンタバイクは走っていてもノロ過ぎてあまり風に当たれないし止まればもっと暑いし、止まるのも地獄、走るのも地獄の旅路がこれから始まるのだった。
勝連シーサー
 勝連半島の農村部の中の新興住宅地で見たシーサー。お父さんが子供と一緒に一所懸命手作りにした愛の共同作品、の感じがあるが、ただ不器用な人が作っただけかも知れない。ちなみにシーサー(獅子)は中国など仏教文化からの伝来と考えられ、大和では狛犬として伝わり、総てのルーツはクフ王を守るスフィンクスだとか。
朝顔1
 具志川ビーチに群生する朝顔。ビーチ自体は美しくない。
朝顔2
昆布ビーチ
 地元の人しか利用しない、つまり観光地化されていないということをキャッチコピ−のようにしている「昆布ビーチ」。得体の知れない海藻がビーチ一面をうずたかく覆い、歩くとぶよぶよしてちょっと気持ち悪い。観光地化は無理である。
海藻
美里路地裏1
 コザに向かう途中で迷い込んだ美里の町並み。古い家が多い。

 1416年に中山軍の護佐丸(ゴサマル)によって北山今帰仁城が討ち滅ぼされた時、按司(アジ、首領)の命によって落城直前に城を脱出した王子一行は安住の地を求めて今の胡屋交差点(コザゲート通り終点)から少し下った嘉間良(カマラ)のあたりを通りかかった。後ろを振り返ると緑豊かな丘陵地帯に小さな村があるのを見て「ちゅらぬさと(美しい里)」だといい、引き返してここに定住したという。美里は北山の落人(オチウド)達の末裔が暮らしている町なのである。ちなみに王子達は美里に落ち着いてから"川上"姓を名乗ったという。
参考 : http://www.okinawatimes.co.jp/spe/naka20010419.html 沖縄タイムス社
美里路地裏2
 ところがである。迷い込んだ路地裏は何だか妙な雰囲気である。普通の古い町並みと思って奥へ入っていくと、1軒、2軒とバーやらスナックやら場違いな店が見え始め、さらに奥へ行くと狭い路地裏の総てが軒並みスナックだらけになってしまった。
ピンクの家
 店はいずれもとても小さく、やけにモダンを装っていて大失敗の感はあるが、ある意味フォトジェニック。
はなびし
 瓦屋根で素性がばれてしまう。
ラブリー
 ラブリィ〜!・。
白の家
 非常に驚いたのは、これらのお店はみな営業中なのである! この時点ですでに8時。朝の連続テレビドラマが始まろうという時間だというのに店からはエコーのかかったダミ声の歌声が大音響で街に響いている! あっちからも、こっちからも! 沖縄は結構深夜まで飲み歩くのが普通らしいが、これも普通である、といえるレベルなのか? もちろん中は覗かなかった。覗いたらお終いに決まっている。こっちにはまだこれからの日程があるのだ。ビービ〜(バイクで走り去る音)
女
 もっと魂消たのはこれである。街角へ来たら女の人が椅子に座ってたばこをふかしている。何かなこの人と思いつつ近付いていくと、「おにいさ〜ん、遊んでってよお〜」。マジっすかマジっすか! 8時もう回ってんだぜ! ここら辺はいつもこんな時間まで営業しているのか? と聞いてみると「なあに?おにいさん旅行?」 そう旅の者。「ねえん遊んで行きなさいよぉ安くしとくわよぉ」 それより写真を撮ってもいいかい?「だめ、写真はわたし嫌いなの」 そう、じゃあ。ビービ〜。
 それでもしばらく町中の撮影を続けるふりをし、あわよくば女性の横顔でも望遠で撮ってやろうと狙っていたら、やがて腕組みした黒いドレスの女性が通りに現れた。恐い顔してこっちに向かって歩いて来る。「あんた!ちょっとこっち来て!」 と言って手招きする。大股にずんずんと歩いてくる。友好的な雰囲気ではない。こりゃお説教だあ。お説教はご免こうむろう、と思ってカメラをウエストバッグに仕舞い、ヘルメットを頭に乗っけて、くるりとハンドルを回すと、ビービ〜♪。
農村
 ビー

  ビ〜
床屋
 道に迷ってしまった。
コザ十字路
 子供に道を聞くなどしたために増々遠回りをしながら、ようやくコザ十字路に着く。本当は美里はこの写真の右奥のブロックなので本来道に迷うような位置関係ではない。
 コザは大きく2つに分れる。胡屋交差点のあるゲート通りを中心とした丘陵の上に栄えたコザと、丘陵を2キロ弱下った谷底に栄えたコザである。ベトナム、朝鮮などの戦争によって米兵で賑わっていた当時、上コザは白人米兵の縄張りであり、下コザは黒人米兵の縄張りだった。
 今、その賑わいは影も形もなく、下コザはゴーストタウンと見紛う程の寂れようだという。
 この街を少し見て回りたい。
銀天街
 コザ交差点の脇にある"銀天街"。「安くて、買いよい、みんなの街」と書いてある。ネズミの巣のように狭く複雑に入り組んだ路地裏的商店街がスッポリとアーケードに覆われた形になっている。
銀天入り口
 中は真っ暗だ。そしてほとんど店はどこもやっていない。朝が早いせいかと思うが、上間に言わせるといつでもこうだと。
路地
 暗がりの中で数軒やっていたお惣菜屋さん。なんだか寂しいショーウインドウだが、どんどん調理している最中だったからこれから並ぶのだろう。
 これらは沖縄ではポピュラーな食品なのかと思ったら、昔はいざ知らず今はそうでもないと上間はいう。グルクンという魚の揚げたのと小麦粉を揚げたカタハランプー。カタハランプーは袋状の形をしているが中には何も入っていない。味は・・・んむ〜 (上間)。
表通り
 本来、目抜き通りであるコザ十字路の角に並ぶ店からしてこの有り様。増々人も来にくくなり、新しい店も来なくなる。坂を転げ落ちるようなこの街の現状が見える。
ドリアン
 今はパン屋だが、この建物は明らかにかつては高級クラブ、あるいはダンスホール、あるいは映画館の類いだった。
性風俗
 これもクラブ、あるいは性風俗関係の匂いもする。今は駐車場か。
hotel
 ホテルの焼け跡。かなり以前に羅災し、そのまま放置されている。これからもずっとこのままだろう。温泉マークが興味深い。
映画館
映画館2
 古い映画館。
張られたポスターの状態から見ると、この映画館はまだ使われているかも知れない。しかし萬田久子の"夏の別れ"、大原麗子の"セカンド・ラブ"、見てみたい!
マチグアー
 沖縄に行くと、やたらこの「ぐわぁー」があるんだ「ぐわぁー」が。市場のこと「まちぐわぁー」とかね。ぐわぁーて何だ、と上間に聞いたら、ん〜、別に意味はないよ、というのだが、意味もなく使うかね。そう言われると余計何だか気になるんだぐわぁー、とかいうふうに使っていいってことなのぐわぁ〜。
コザダンス
 
屋根塗り
 沖縄の風物詩ともいえる瓦屋根も次第に数を少なくしつつある。沖縄の文化だからね。大切に長く使っていくために、こうして時々ペンキーを塗るんさ−。と、おっしゃっていた。炎天下に重装備で御苦労様です。
坂道
黄色花
シーサー1
 今回の沖縄旅行中に見た中で、最も楽しく愉快でしかも下手くそで笑わせてくれたこの雌雄のシーサーに『SATOSI グランドパレス獅子ぐわぁー賞』を授ける。
シーサー2
ポーク卵弁当
 一睡もしないで活動して来たので疲れたし、日射しも殺人度を増して来たので昼頃に帰HOTELすることにする。
 何も食べておらず、冷やソーメンか東京ラーメンが食べたかったが、そういう店はないらしく、しかたがないので " ゴヤマート " に行って弁当を買うことにする。
 店内で手作りしているのには吃驚したが、沖縄人の大好物 " ポークたまご " の弁当があるのも興味深かった。
おにぎり
 「な、な、なぬーっ」と思ってカメ首になって見てしまったのがこのおにぎり。" ツナマヨ " と書いてあるのに、横からはみだして見えているのは " ポークたまご " でないの!
マーボーライス
 結局、辛味に食欲を助けてもらおうということで " マーボーライス " 買って、ホテルで食べた。なかなかウマかった。
洗濯物
 夜はツキ、上間と落ち合って、どこかへ一緒に取材に行こうという約束になっていた。それまでは休める。シャワーを浴びて生き返り、洗濯物を干して、くたくたの体をベッドに投げ込んだのは12時30分頃だった。今度こそ ・・・ZZZ
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