第三日目
12. 北谷
海底の一隅に空いた暗い穴底の、光も届かず、生命反応も感じられない闇の深みから、突如として鎌首を現した巨大うつぼの白い牙が、逃げようともがきながら少しも浮上できないでパニックに陥る俺の首筋に、ゆらりと接近する。んぎゃっ、んぎゃっ、んぎゃっ、ピロポロチロリン、ピロポンポンポン。ベッドの上でガバと跳ね起きた俺(satosi)は、べったりと額に浮かぶ汗を拭いながら枕元の携帯電話を取った。ツキからだった。「アブチラガマに入っちゃったんだよお、タマタマ大学の先生がいてさあ、いやタマタマ大学じゃないよ、タマタマ先生がいたんだよ。・・・いや、違うって、ちゃんと話し聞けよ。戦時中の話しとか聞いてさあ、凄いショックで重くなっちゃったよ(11.糸数アブチラガマ参照) 」。上間沖縄支部長は東京本部会員の帰還前に是非一度合同撮影会をやろう、と。それは如何にもと俺らも思っていたのだが、上間沖縄支部長は、是非、深夜にアブチラガマに入ろうと、言っていたのだった。しかし、たった今アブチラを体験してしまったツキにとって、あの神聖にして怖れおおく、しかも酷く足場の悪い洞くつに深夜に侵入するなどほとんど無謀、不可能じゃ、と電話の向こうで訴えているのだった。「ふ、ふが? (そうか?)」と俺は応え、緊急に上間と連絡を取り合って、今夜の行動の再調整を行うことにした。電話を切って時計を見ると午後2時30分。まだ2時間しか寝ていないぢやないか。ガバガバ言いながら俺はまた穴ぐらの深い闇の中へ潜り込んでいった。
突然、激しい雨が大地を叩いた。" スコールか。やっぱり東南アジアと一緒だな "。ぼんやりと、闇の穴ぐらの中で驟雨の音を聞いていたが、窓の外に洗濯物を干していたことを思い出して慌てて飛び起きた。
すっかり眠れなくなってしまい、ぼんやり重い頭を横たえていると、4時頃、" 北谷(チャタン)のフリーマーケットへ行かないかい? " と上間からコールが入った。よかったアブチラはあきらめてくれたようだ。かまわんがツキは今夜那覇泊まりだぞ、というと、" なんなら今夜 satosi の部屋に泊まればいいじゃない "、な、なぬーっ! ご苦労にもツキはまた58号線を北へ向かわせられることとなった。
上間の車に乗せてもらって行き掛けにゴヤ市場を見学させてもらった。さんざコザを歩いたつもりだったのにまったくこの市場の存在には気が付かなかった。この門看板が入り口というわけではないのである。この奥のどこかに一般人には分かりにくいようにカモフラージュされた入り口が隠されているのだ。
やあっぱりバナナは首吊り販売。手前はイモのツルだったかモグサだったか忘れたが、いずれにせよほとんど雑草に近いものである。タイへ行った時も腹をこわしそうなほど汚い川にいくらでも繁殖している水草の炒め物を食べたが、存外こういうものがおいしいし金はかかんないし庶民の味方的味覚となっている。
肉はぶん投げ放り出し持ってけドロボ−状態販売を行っていた。
コザを離れて北谷に向かう途中。車の中で仰天カメ首を天井にぶつけるほど伸ばしたのがこの風景。買っていいのか!? 売っていいのか!? こんな大っぴらにしかもあんた。性風俗に詳しい知り合いのヨコツカくんも北谷に来た時これを見かけてカメ首を伸ばしたそうである。誰だって普通伸ばすってこれは。いや男に限らずですよ。
フリーマーケット会場に入る前に北谷にある上間の実家に立ち寄った。立派な家なんでびっくりした。シーサーが上間そっくりなんである。
御母堂にもお会いすることができた。抱いているのは上間の第三子、美世(ミユ)2才。おばあちゃんが大好き。
夜、北谷周辺の道はどこも激しく渋滞していて車はまったく役に立たない。その人出の激しさ賑やかさにコザの現状を重ね合わせてしまう。
大分遠くに車を置いて歩いてフリマ会場に入った。ツキはタクシーですでに先着していた。
ナカナカ大規模、カツ、もの慣れた感じのある出店ばかりで、半分以上はプロと思われる。
あめりか古着のおやじ。完全にプロだあな。3枚2,000円のTシャツをつい買ってしもた。
エレキギターを弾いてしまうおじー。それに聞き入ってしまうおじー。
商品のコップを叩いて陶酔しているおばーもいたあ。
マーケットを囲うようにして食い物屋は数多くの出店がある。
国際色も豊かである。インド、パキスタン、ペルー、韓国、中国、タイ、ロシア、フィリピン・・・何を見てもうまそうであり猛烈に良い匂いをさせている。わしらは晩飯がまだでさっきから腹の鳴き声がライオンクラスになってきたので、ここらで何か食べることに。
匂い判定でペルーの勝ち。ツキの食べているのは " パパレイェナ " 200円。ロシアのピロシキに良く似ている。美味。店の日系チリ人兄さんがやってきて、" トテモカライソース、ツカウカ? " というのでもらってみるとマヨネーズにペパロニを刻んだのを混ぜたようなものだったが、付けて食べると非常においしい、トテモカライ。
これは " タジャリンサルタド " 500円。ほとんど焼うどんに近い。しかし微妙に香辛料が効いており、美味美味。
" アンチィクチョ " (400円)は牛の心臓を炒めたもの、ハツですな。美味美味美味。オリオンビールがまたウグウグ進んでしまうのであった。
コザに帰り、三人で過ごす最後の夜を飲み直すことにした。中央パークアベニューの " THE MORRIGAN'S " はここだけの店かと思っていたら東京の四ッ谷にもあったからチェーンなのか。米兵が良く集まると聞いていたので選んだのだが、アホなことに日曜日に来たもんだから誰も来やしない。朝の早い米兵さんは日曜の夜は早く休むのだそうだ。
ギネスを飲みながらボソボソと語り合う。男同士語り合うことなど、そう多くはないのだ。
ツキは明日は久米島へ、satosi は明日東京へ、上間は沖縄のつましい日常に戻る。またの再会を約してグラスを重ねる度に、これまでの沖縄の思い出が、ほろにがい泡とともにシュワシュワと心にしみ込んでくる。
MORRIGAN'S を出て胡屋交差点近くで三人堅く握手をかわすと、那覇、自宅、グレイスホテルと、それぞれの道に別れていった。
ひとりグレイスホテルに帰ったsatosi は、夜遅い時間だというのにフロントにおじいが出ているのに気付く。ただいま。おかえり、飲んで来たかい。うんパークアベニューで飲んで来たよ、などの挨拶を済ますと、そうだ田中さん、デジぶらのコード番号(URLのこと)を教えて下さい、という。最初に話しをした時にURLを書いた名刺を渡したと思ったsatosi だが、思い違いかも知れない。二枚お渡しした。明日は朝が早い。これで最後だね。また沖縄に来たらきっと顔を見せるよ。きっと来て下さい、今度家族でいらっしゃい、カカカカカ。記念にツーショットを撮った。何だか似通った二人が寄り添ってしまったものである。この写真は後でおじーに送った。おじーは本当に良い人である。今夜だっておじーはsatosi が帰ってくるのをずっと待っていたのであろう。親愛なるおじー&グレイスホテルよ、永遠に。