第四日目

13. 牧志第一公設市場

 satosi 滞沖日程最後の日。彼はコザの農連市場を覗いた後、一気に(といっても時速40キロだが)那覇へ走り、牧志第一公設市場へ。さらに那覇の南、豊見城(トミグスク)の旧海軍指令部壕、もっと南下して糸満市の名城(ナシロ)ビーチまで行ったところで時間切れとなり、那覇空港へ戻った。熱暑に喘ぎつつも躯ごと沖縄を楽しみ愛した日々にも遂に終わりが近付こうとしている。最後の日に彼は、何を沖縄から授かったのか、見てみよう。
朝日
 5時30分。俺をずいぶん苦しめてくれた沖縄の太陽よ。お前に世話になるのも今日が最後だ。せいぜい今日も熱線攻撃を仕掛けたまえ。・・・殺さん程度にね・・・。
夜明けグレイス
 今朝ばかりは妙に愛しく見える。我が同胞のレンタバイクくん。こいつに跨がると誰でもドン・キホーテになってしまう。まあ今日も一日、ハードだけれどガンバッテくれよな。
バイク
 おじーはまだガースカ寝ているんだろうか。いつまでも元気でいて欲しい。さらばグレイスホテル。さらばおじー・・・。ホテルに向かってこんなに喋ったのは初めてである。さて出発しよう。ロシナンテの首をコザへと回して、ビービ〜。
農連入口
 最初に訪れたのは上間宅からも程近いゴヤ農連市場。夜明けには始まっている。
 「琉球農業共同組合連合会」の略で、50年代に沖縄各地に設置された。近隣の農家が自分の所の作物を運んで来て売っているという生産者直販システムだから新鮮な上に値段はほんとに安い。公設市場などは生産者から仕入れたものを業者が売っているというスタイル。農連市場への出店は、必ずイナグ(女)でなければいけない、というルールがあるようである。
ゴーヤー
 ゴーヤー。ひと袋に15本くらい入っているのじゃないかと思うが、3.5キロで700円である。
ブタ半身
 市場には様々な商店も付随している。これは肉屋の半身の豚。
仲松
 市場の目の前にある " 仲松商事 "。スーパーといっていいと思う。品揃えが豊富な上、沖縄では最も安く買える店のひとつとして有名。
レジ前
 仲松商事の中。5時半だというのにもうフル稼動である。
SPAM
 「ポークたまご」などにするのに沖縄人には欠かせない食品「SPAM」。米軍放出品から広まった。「スパム」とはスパイスとハムの合成語。ここでは東京で買う値段の半分くらいだ。
GABANイカスミ
 GABANのイカスミソース、イカスミスパゲティ。そんなのあったんですかあ。イカスミソースはイカスミもんじゃへの応用も出来そうだとにらんでいる。
朝の街
 ビービ〜。6時頃、農連市場を出発。
 来た時とは違う道で帰ったが、国道は交通量が多くスピードも出しているので足ののろいロシナンテはかなりビビリながら道の端っこを進んだ。この日は月曜日でもあるので、那覇に近付くに連れ渋滞が激しさを増し、入り乱れる車やバイクの間でロシナンテはチムドゥンドゥン(心臓ドキドキ)状態であった。
市場閑散
時間つぶし
 8時過ぎ頃、道に迷いながらも牧志公設市場近辺までやって来た。
 
 そこら中一帯、広大なショッピングアーケードとなっているが、まだ早いのでみんなシャッターを降ろしていた。
 
 公設市場は倉庫のようなところを想像していたがビルの中だったし、入口も小さくて分かりにくいのでしばらく場所が分からなかった。
 入ってみたらこちらも閑散としていて、聞いてみると本格的に始まるのは9時半頃からということだったので、それまで時間をつぶさねばならなかった。
市場見学
 9時少し前、店を開き出したところもあるかと思って外に出る。
 牧志第一公設市場の周りもみんな市場である。
ゴボウ売り1
 明かりが無くて薄暗く、人通りの少ない一角のシャッターを降ろした店の前で、木で台を組んでごぼうを売っているおばあ。50年間ここで商売しているという。つまり戦争直後からであろう。50年間ひとりでごぼうを売ってきた、という言葉の裏に壮絶な人生が重く横たわっているのを感じた。
ゴボウ売り2
 ごぼうは沖縄産、内地産とある。きんぴらごぼうなどの惣菜用に千切りにしたものも売っている。
蒲鉾売り
蒲鉾のぼり
 こちらも真っ暗な、一番端っこの、人も来ないようなところでぽつねんとショーケースを出していた蒲鉾売りのおばあ。
 少し蒲鉾を貰うことにした。東京から来たといったら、自分の息子も東京へ出て勉強しているから、何か縁があるかも知れない、といってひとつおまけしてくれた。このおばあも大変な苦労を重ねて来ているのだろうな、と思わせるものがあった。
瓶詰めや1
瓶詰めや2
 瓶詰め屋。おばあちゃんとおじさんがいたので親子でやってるのだなと思っていたら、左側がおじさんの店、右側はおばあさんの店でふたりは赤の他人なのであった。知らないで左側からスクガラスとコーレーグースー、右側からシャコ貝の煮付けを取ったら、はい私のところはいくら、こっちはいくら、と二人で手を出すのでびっくりしたのである。おばあさんはカメラを向けると隠れてしまった。
かつお節屋
 かつお節屋も多い。大和風にカビの生えたものとカビをはやさない沖縄のものとがある。沖縄のかつお節を一本買った。
箱もの土産屋
 箱物のお土産お菓子専門店というところか。紅芋まんじゅうを3箱買った。とにかく第一公設市場の横手にあるこの薄暗い一角で、暇に任せて軒並み土産を買い漁っていたのである。スンシー(塩漬け支那竹)も買ったし。
菓子雑貨
 これは第一公設市場の中だったと思うが、沖縄限定商品を結構扱っている店。
ボンカレー
 なぬーっ!、とカメ首伸ばしてしまったのがこのボンカレー。松山容子(だったか?)がにっこりよそ見しながらカレーをどぼどぼのパッケージがまだ残っているとはっ! 正確には昔の物とは少しデザインが変わっているが。これも沖縄限定デザインである。あたふたしながら手に取って「ここここれこれこれこれ下さい」と三つばかり購入。他に沖縄限定パイナップルハイチューも買った。
漬物屋
島らっきょう
 漬物屋の店先にも心引かれる彩りがある。何も和えていない島らっきょうとキムチ和えしたものとを購入。島らっきょうは匂いが強烈なので飛行機や電車の中へ持ち込むのは勇気がいる。
市場本通街
 ここからしばらくおーすみ隊員の沖縄ストックから何点かご覧頂こう。より深くマチグワァー(市場)の雰囲気が味わえよう。おーすみ隊員は今回は沖縄デジぶらに参加できなかったが、昨年に沖縄を訪れていた。

 これは、第一公設市場の横を走る巨大アーケード街「市場本通り」の様子である。全長は正確には分からないが二百メートルはあるんでなかろか。向こうの端は霞んで見えないくらいだ。この市場本通りの他にむつみ橋通り、平和通り、水上店鋪街、えびす通りなどが近接し、ぼくの概算では二万平方メートルくらいの広大な地域がぎっしりと、スクガラスの小魚のように小さな商店群で埋め尽くされている。全部を見て回るのに要する時間と根気はルーブル以上である。
P/ Osumi
裏通り
 
P/ Osumi
店先
 
P/ Osumi
やぎ肉
 水前寺清子似なんだけどヤギ肉屋。
P/ Osumi
チラグワァー
 「チラグワァー」はもちろん沖縄では大切な食品であるが、沖外からの観光客をいたく喜ばせるので半ばマスコット的扱いを受けている気味もある。
P/ Osumi
品定め
 
P/ Osumi
肉屋の客
 
P/ Osumi
ミーバイ
 そろそろ魚屋も活気づき出したか。ミーバイ、青ブダイなど色とりどりの魚をこんなふうにレイアウトしている。
P/ Osumi
エビ
 
P/ Osumi
五色エビ
 本体だけで40センチくらいもありそうな巨大五色海老。
貝
 名前は知らないがハンドボールのボールくらいもある巨大貝。
アオブダイ
 見た目はあんまり旨そうに見えないアオブダイ。
与那覇鮮魚
代表
 せっかく来たんだ、魚を喰おう。「与那覇鮮魚」のねーねーの言葉巧みなセールスに釣られてお世話になることにした。このねーねーは朝早くてまだ他の店も空いてない写真で脚をぶらぶらさせていたおねえさんである。右は代表の与那覇英盛さん。
与那覇鮮魚
 ねーねーのアドバイスを受けながら店先で魚と調理方を選び、2階の指定されたお店で待っていればいい。魚の良く分からない俺はねーねーの勧めによってアカマチを選び、一匹で刺身とアンカケ空揚げと味噌汁にしてもらう。
食堂ツバメ
 指定された二階の食堂「ツバメ」。まだ10時くらいなのでガラガラ。ここでしばし待つことに。
ねーねー
 やがて駆け上がって来た与那覇鮮魚のねーねー。造りは下で盛り付け、調理の必要な材料はツバメの厨房に渡される。
盛り合わせ
 赤いのがアカマチ。アオブダイもサービスしてくれた。両方とも淡白系であるが、わずかにアオブダイの方が拙者の好みであった。海ブドウも付いていた。
空揚げ
 あれ、確かアンカケのはずなんだけど、ただの空揚げで来た。まあこれはこれでおいしい。骨までバリバリである。味噌汁は絶品であった。魚のダシが意外と濃厚に出ており「旨い!」である。味噌汁から取り出したアカマチのほっぺたの肉も「オイチー」であった。伊勢海老とか、あのでっかい貝だとか、ケチらないでもっと豪勢にやればよかったかなあ、と思わないでもないが、ひとりでそんなにテーブルに広げてモサモサ喰っている半ズボン&サンダルのおじさんの図を想像するとやはりしなくてよかったのだ。それに、味噌汁はどんぶりで来るし御飯も付くから結構十分に満腹になる。グループで行った時には伊勢海老、蟹、ダルマオコゼ、ヤシガニなど珍しいものを沢山楽しむと良いだろう。
味噌汁1
味噌汁2
与那覇
「与那覇鮮魚」
900-0014 那覇市松尾2-10-1 牧志第一公設市場内
tel:098-867-4241
fax:098-869-9177
*全国から電話による受注、発送もしてくれる
 さて、時間がたっぷりある。どこへいこうか。え? 大量に買い込んだ土産? 大丈夫、市場周辺には宅急便の出張所が幾つかあるから、めしを喰う前にそこから自宅へ発送してしまった。箱詰めも保冷もみんなやってくれる。着いた荷物を開けてみたら買った覚えのないお菓子まで入っていたが、沖縄らしいサービスなのか? 宅急便で? こうした土産品については久米島編が終わった後、特別編を組むのでそこでも紹介しよう。写真は話しと全然関係なかったが、沖縄では良く見かける看板である。裏側は「マムシホルモ」となっている。
指令部壕地上
 豊見城にある旧海軍指令部壕を訪れた。丘の上に入口があり、丘の中を蟻の巣のように壕が掘られている。昭和19年から掘られ、20年5月末の米軍による首里陥落後、沖縄海軍根拠地隊が持久戦を続ける目的でここにこもった。司令官大田寛少将以下4,000人がここに詰めたという。
指令部壕入口
 資料室を見た後、実際の壕内へ降りて行く。30メートル程の深さがある。上がってくるのは米人青年。米人もよく訪れるようだが、彼等は非常に複雑な心境で出てくるに違いない。狭い階段を上がってくる彼を上で待っていたのですれ違う時軽く目礼をかわした。
指令部壕通路
 内部通路。道具も満足にない状態で手堀りでの建設は困難を極めたろう。4,000人の部隊がここに入った時は瓶詰めのスクガラス状態で寝るのも立ったままだったという。
指令部壕自決の部屋
 米軍の猛攻は熾烈を極め、一度壕を飛び出していった兵士達はひとりも戻って来ることができなかった。結局、部隊は一週間と持ちこたえることができず、6月13日未明に大田寛少将以下幹部7名は拳銃で自決する。手榴弾を使って自決した幕僚もおり、当時のままに保存されている壁面にはその時の破片痕が今も残っている。
指令部壕指令官室
 指令官室。苔むした壁には墨書で「滅覆米醜」と書いてあるのが今もはっきり読める。大田司令官は死の直前、海軍次官に宛てて一つの無電を打っている。それは、武器も食料も無い中で軍と共に戦い軍を助けながらもその辛苦を一度もかえりみられること無く、窮乏にあぎながら耐えている沖縄県民に対して、戦後、特別の理解と配慮を願うものだった。
糸満埋立地1
糸満埋立地2
 ロシナンテを南へ走らせ、糸満の埋立て地に行ってみた。ここいら当たりが時間的に限界の所かと思って来たのだが、あまりにもつまらないところなのでもうちょっと南下してみるか。
やどかり
 名城ビーチに行ってみたら入場料取るというのでアホらしいと思い、畠の中の道をよぎって隣の浜に出てみた。
 これまたどうってことない海岸で、何しに来たんだろおれは、とヤドカリと戯れてしまった。おまえは何とか虫ってやつをヤドしてないだろな、いえぼくはそんな虫なんか、それより離して下さい、なぜそんなに慌てる、何か隠し事をしているな、離して下さい離して下さい。あーバカか俺は。放り捨ててロシナンテに跨がり、再び那覇へと向かった。ビービ〜
糸満シーサー1
糸満シーサー2
糸満シーサー3
 糸満から帰る途中で見たシーサー達。上の二つは非常に力強く、左のなんか屋根に木が生えとる。関係ないが。左下はこういう付け方もあるのかと、一瞬感心しかけたが、実はいつもベランダから御主人に頭を撫でられて甘えん坊になるのでこれは悪い例である。ビービ〜
国際通り
土産物屋
 那覇に着いてロシナンテとは離別した。彼は全行程を1タンクで走破し、そのガソリン代はたったの723円だった。いつもの癖でついキャッシュカードで払ってしまった俺はアホみたいである。お疲れロシナンテ。しかしこっちも疲れるバイクではあった。 ここは国際通り。土産物屋でも覗こう。
シーサーキャラクター1
シーサーキャラクター2
シーサーキャラクター3
シーサーキャラクター4
 シーサーキャラクターは物凄く沢山ある。
 けっこうみんなかわいい。
ゴーヤーキャラクター1
ゴーヤーキャラクター2
 ゴーヤーキャラも沢山あるが、今人気のゴーヤーマンはどこにもなかった。この時はまだ発売されていないのだなと思っていたが、そうではなく、店頭に並ぶとたちまち売り切れになってしまうからなのであった。しかしこのふたつもなかなかではないか?
泡盛チョコ
 " 泡盛ボンボン " か??
払い下げ品1
払い下げ品ー2
払い下げ品3
払い下げ品4
 国際通りといえば払い下げ品。しかし昔はほんとに中古で、傷付いていたり色が褪せていたりで雰囲気があったのに、今はみんな新品である。払い下げとは言えんのでは。
テビチ、ビア
 空港へ行くまでにまだ少し時間がある。ビールを飲もう。テビチがあったので思わず頼んだ。しかしちょっと甘過ぎる。キャサリンのはホントにおいしかった。
モズク、ビア
 モズクでもう一杯。沖縄はほんとに暑かった。ロシナンテをバイク屋に返して、国際通りまで歩いてくる時の暑さったらまた、ぶっ倒れそうだった。デパートに飛び込んでトイレの洗面台で水浴びしちゃったくらいだ。しかし今となっては、その暑ささえ引き戻したいような気がする。
空港の雲
 日没せまる時刻にタクシーで空港に入った。那覇の上空には、また大きな雷雲が登っている。
オリオン
 フライトまでにはまだ時間がある。オリオンをもう一杯飲もう。哀愁を湛える白い泡に唇を湿らせながら、あれこれ旅の思い出に耽る。久米島にいるツキにも電話した。ちょうど島の魚で酒をやっているところだったようだ。
最後のオリオン
 沖縄から何を授かったのか、授からなかったのか、そんな理屈っぽいことは問題ではなかった。この四日間、この沖縄に暮らしていたという事実、その確かな事実だけが重要だった。多くの人に会い、多くの経験をし、多くの酒を飲み、多くの唄を聞いた。それらのエキスは永遠に我が心の胃袋にたゆたい続ける。そのことに多くの意味価値を求めるより先に、素直に幸せだった、ありがとう沖縄、また遊んでくれよ、心からそう言いたいだけだ。
「まためんそーれー」 そうか、そう言ってくれるかオリオンよ。ではもう一杯飲むとしようか。ングングングング。・・・
 
 (・・・お客さま、お客さま、羽田行きもうすぐ出発致します。起きて下さい、お客さま! お客さま! ・・・)
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