第四日目

14-1. 久米島

 朝一便、機上から見た沖縄の空は雨が渦巻いていた。前日、この那覇発久米島行き早朝便に乗るためにツキは那覇に泊まっていた。毎日駆け足だった。たくさん夢を見たような気がする。残波岬の眠くなるような心地よい暑さ、今帰仁の軒下で酸っぱい果実をすすったことを懐かしく思い出していた。那覇から西へ100キロ、35分のフライトである。飛行機が雨雲を突き抜けて空に出た時、眼下に虹が出ているのであった。
虹
 自分の体よりだいぶ下に虹を見る。初めての経験だった。
雷雲
 旅に出る前、以前沖縄で暮らしていた知人が「沖縄では体半分が晴れ、半分が土砂降りってのがあるんですよ」と笑っていたが、あの雲の下ならきっとそうだ。
海岸1
 空港に降り立ち野暮用を済ませた後、島のあちこちを見ながら、まずは綺麗な海を見たいと思った。島で借りるレンタカーなどという代物は汐でやられて大概ポンコツと相場は決まっているのだが、値切った車は本当に走らなかった。勢いをつけないと上り坂で止まりそうになる。やっとの思いで久米島の東端、奥武島の海岸に辿りつく。
 海は、おだやかで、果てしなくおだやかで、岩を洗う緩慢な波の音が心地良い。人の喧騒も無ければ食い物屋の匂いも無い。スピーカーから流れるセンスの悪い騒音も無い。一人旅には悲しいくらいに美しい水辺の風景だった。
家族
 幸せの記録
 海水に弱いカメラを持っていることを忘れてしまっていた。チャプチャプ遠浅の海に漬かっているのがなんだか楽しいのである。そういえば沖縄に来て初めて海に入っていた私でありました。調子に乗って気持ちの良い海を歩いていたら、いつのまにか波が股座を濡らしていた。いけねえ、岸に戻ろう、と思って振り返ると岸ははるか100メートル以上もあるではないか。尻を波に洗われて我に返ったんだな。カメラを気遣って転ばぬように岸に戻った。
ウミガメ
 無事浜に上がり、さてどうしたものか。そういえば上間が言っていたウミガメ館というのが近くにあるらしい。アカウミガメはお昼の運動の真っ最中のようで水槽を果てしなくグルグル。悪い人に甲羅を剥がされる心配はないけど、なんだか退屈そうだよ。見ているこっちも飽きたので、市場にでも行ってみようか。
仲里漁港
 奥武島から車で5分もかからず、真泊の仲里漁港についた。ちょうど競りの前の下見をしているところだ。魚は久米島近海で獲れたものばかりである。仲買は八割がたオバー、特にこのピンクのオバーは気合の入った目つきで、じっくり魚を見ていた。
競り
 十時、まず高級魚アオブダイから競りが始まる。さっきのピンクのオバーが競り人に付かず離れずの距離から鋭く声を飛ばす。
アオブダイ
 同じアオブダイだが左のデコの張ったほうが値が高い。オバーに言わせるとデコの張ったほうがエライんだそうです。ブダイ関係は素潜りで、銛で突いて捕るのだそうだ。
宮里さん
 実はこの競り人、宮里真次さんは、ツキが泊まった宿のご主人である。漁協の業務課長さんであるが、宿では奥さんと一緒に魚料理に腕を振るっていたというわけだ。二晩泊まって夕食には必ずデカイ魚がまるまる一匹ついていたのだが、こりゃ納得である。もちろん美味かった。
ミミジャー
 宿の夕食に出た魚、ミミジャー。
ハリセンボン
 裸にひん剥かれているのはハリセンボン。
サワラ
 サワラかな。これも銛で突いたものらしい。
ゾウリエビ
 ゾウリエビ。
コウイカ
 コウイカ。
赤いの色々
 赤いの色々。
ピンクのオバー
 ピンクのオバーはほとんどの魚の競りに声を出していた。一人で市場の三分の一近くを買ったような勢いだった。
男ども
 オバーの後ろの男どもは、もっぱらオバーの競り落とした魚を運ぶ係りだったりする。
引きずるオバー
 競り落としたマグロを悠然と引きずるオバー。
魚をさばく
 市場の床でいきなり魚をさばくオバー、「頭もハラワタもいらんからねー」と言って、ゴミになっちゃた部分は岸壁から海にドボンである。
マグロの解体
 こちらはマグロの解体。頭を落とし、まずオオトロを切り出し、胴体を4本のサクにして、皮まではいで袋に入れるのに10分ほど。
事務机
 このまな板がわりのテーブルはたぶん事務机だったに違いない。
比屋定バンタ
 とりあえず島を一周してみるべく市場を後にしたツキは、ゴーゴーと音だけは一丁前な車を駆って比屋定バンタの展望台に辿りついたのだ。バンタというのは断崖のことをいう。あ、がけっぷちに社民党の参議院選挙のポスターが。おたかさん、ガンバレー。
民家1
 ちょっと内陸に入って民家を覗いてみる。赤瓦だし、芝生も綺麗。ごめんくださーい、誰かいませんかー。
民家2
 しかし、開けっぴろげな家だなあ。おーい。ごめんくださーい・・。誰もいない。サー・・っと気持ちの良い風が通っていくのであった。
上江洲家
 国指定の重要文化財、上江洲(ウエズ)家住宅を訪れる。久米島の中心地にほど近い西銘にある琉球王朝時代の士族の家である。1752年に建てられたそうだが、垣根と福木の老樹の間から見えた屋敷の佇まいが、すでに普通の民家と違う。
門
 エライ人の家は門からして違うぞ。この石組みは城の城壁と同じ造りじゃないか。
ヒンプン
 門から入るとヒンプン(屏風塀)に突き当たる。直接母屋を見られないための目隠しや魔除けの意味があったといわれている。
正面
 母屋の正面。踏み石の他に手前に黒い石が見られるが、風水による、魔除けなのだそうだ。そういえばこの家には屋根にシーサーがのっていない。
管理人1
 この家の管理人、上江洲艶子さんに話を聞いた。「お金は無かったんですけど、権力ですよ。でなければ昔にこんな大きな家は建てられません。この家の先祖は琉球の具志川城址の殿様の末裔だったんです」
穀物倉
 母屋の前にメーヌヤ(穀物倉)、奥がフール(家族用の便所であり家畜小屋)。「家畜は、牛、馬、山羊などを飼っていましたが、特にフールで飼っていた豚は魔除けの意味もあり、夜に帰った家人は棒で豚をつつき、3回鳴いてから家に入る、ということをしていました」
庭木の手入れ
 裏で艶子さんが庭木の手入れをしていた。この家の軒のぐるりを支えている柱はイヌマキの木である。硬く粘りがあり、柱としては最上級品だ。「イヌマキは元々は久米島の特産でもあるんですが、先祖代々大切にしてきた木で、一本切ったら必ず一本植えるということをしていたんですね。昔はイヌマキの柱がある家にお嫁に行くのはとても自慢なことでした」
瓦
 上江洲家のように権力と力があっても、屋根に瓦を使用することが許されたのは明治24年からである。それ以前は普通の民家と同じ萱葺きであった。に、してもこの赤瓦は110年の風雨に耐えてきたんだな。
座敷
 沖縄の家は正面と裏が南北を向いている。夏の暑い時期には南風がよく通るというわけだ。母屋の座敷から正面にヒンプンが見える。ここに座って客人の顔を確認したのだろうな。
裏
 裏の眺めもいいね。
艶子さん
 艶子さんは上江洲家に嫁にきた人だそうな。先代は実際にここで生活していたそうだが、ご主人はこの家の跡取でなかったために、艶子さん自身はこの家で暮らしたことはないそうである。今は那覇に住んでいて、こうしてここに通ってきている。
サトウキビ
 横道にちょっと入ると、どこもかしこもサトウキビ。久米島は農業と漁業の島である。それと観光があるか。沖縄が本土に復帰して本土と同じ減反政策が適用されてから、島では稲作が急速に減少していったのだそうである。昔は豊かな涌き水を利用して稲作が盛んであったそうだが、今は全てサトウキビに取って代わったそうである。
墓の新築
 道の脇で新築工事でもしてるのかなあ、と、通りすぎようとして良く見たら、なんだかサイズが小さくないかい?ひょっとしてお墓の新築か。にしても敷地が広いよ。コンクリートを打ってあるところだけで30坪以上はあるな。
誰もいない
 ちょうど昼休みなのか、35℃を超えている炎天下のせいなのか、誰もいない。墓の周りに大きくスペースをとってあるのは、墓参りの日に一族郎党の殆どが集まって祭ごとをするためと聞いた。泊まった宿のご主人が言っていたが、何かを決めるために相談事をする時にも、じゃ、誰それの家の墓の前で集合、ということも普通に行われていたそうだ。
飾り
 飾りなどの細かいパーツは現場で手作り。
墓標
 墓標も玄関脇にはめ込むみたいだ。ご冥福を祈ります。
家と変わらない
 鉄筋コンクリート造り二階建ての家と変わらなく見える。少し違うのは屋根までコンクリートだってところかな。
古い墓
 新築の裏山には崩れかけた古い墓が森の斜面にうずくまっていた。風化して文字は読めなかったが石で出来ているところから判じて江戸時代後期くらいのものか。
門付き
 こちらは門付きである。屋根の草原が中の涼しさを連想させる。庭木もありで頑丈さでいったら、アメリカ西部の「大草原の小さな家」よりかなり立派。
もっと古い
 これはもっと古い時代のものと思われる。崩れ加減などはどこかの遺跡のようでもある。
亀甲型墓
 別の場所で撮った亀甲型墓、これまでの家型より、より沖縄の墓という感じがする。左が満杯になったので右を増設したのであろうか。そういえば沖縄支部長上間が、「こうした墓の屋根の脇は格好の滑り台として子供の頃よく遊んだものだ」と、ゆうていた。
サトウキビ2
 どこまでも、どこまでもサトウキビ。実は道に迷っていた。なにせどこまでいっても風景は変わらんし、お天道様は高くて暑くて、車は調子悪いの三重苦なのであった。
街路樹のアダン
 やっとの思いで見覚えのある道に出た。街路樹のアダン。海岸の森に入ればそこらじゅうに勝手に生えている。パイナップルに似ているが、このままでは毒があって食えません。蘇鉄と同じように、アク抜きをすれば食えなくはないそうであるが、いまどきはやはり誰も食わんそうだ。さて、そろそろ宿に行こうかな。腹も減った。
ロッジあみもと
 今夜の宿、「ロッジあみもと」にやっと着いた。朝一便で久米島に着くと言っていたのに、連絡していなかったため、宿のおかみさんに心配かけていたようだ。
ご主人
 ご主人の宮里さんと奥さん。ご主人には市場で会いました。競っている姿がカッコ良かったです。民宿のほうはもっぱら奥さんが中心で何人かアルバイトの女の子もいます。家庭的でのんびり長逗留したくなるような宿だった。
@ ロッジあみもと
  098-985-8856
スコール
 荷物を置いて、ボーとしていたら軽いスコールがやってきた。虹も見えている。
晩飯
 朝、市場で見た魚、ミミジャーがから揚げねぎ醤油ソースで晩飯の食卓にでてきた。今、旬の魚である。ミミジャーでオリオンの生をゴクゴク呑んで、非常に満足な一日を終えたのでありました。
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