第五日目
14-2. 続・久米島
はての浜へ
 「はての浜」、その名前に惹かれていた。久米島の海はどこを見ても美しいのだが、その果てにあるという浜はよほどキレイでなくてはならぬ、と勝手に想像してみる。ガイドブックによると東洋一の真っ白い砂だけの島、とあった。地図を見ると、久米島の東、沖合7キロメートルにわたって、くの字に曲がった砂洲が点々と海原に連なっている。長大な珊瑚環礁がその砂洲を取り囲むように地図の外へと広がっていた。  ここで少し久米島の歴史をひとくさり。久米島が史書に登場したのは「続日本記」の中で和銅七年(714年)、「球美」の人が奈良を訪れたことが記されている。「球美」とは久米島のことを指しているらしい。古代の久米島は、豊富な涌き水を利用した稲作が盛んな地味豊かな国であり、また、黒潮の本流の只中にあるため古くから南蛮との交易ルートの拠点でもあった。沖縄本島の琉球王国が中国に朝貢していた時代には、お互いの使節が双方を行き来する時、必ず久米島に寄港していたという。大国中国朝鮮と琉球王国に挟まれて文化の洗練を受けたが、庶民の暮らしは近代まで決して楽な歴史ではなかったようである。しかし、久米島絣や島泡盛を始めとする古い伝統と島の天然の美しさは残った。「球美」、クミと発音するのであろうか。碧き海に浮かぶ美しき島、人々の生活は転変を経たが、変わらぬものは圧倒的な自然の姿である。
奥武島夜明け1
 早朝、奥武島の東海岸にて朝日を待つ。今日は「はての浜」に行く予定なのだが、気合の入ったツキは朝4時に目が醒めていた。自分でも可笑しいと思ったりするのであるが、太陽の出現には何度遭遇しても感動してしまう。真っ暗なサトウキビ畑の中をうっすら蒼くなりつつある空をたよりに辿りついた海辺は、岸を洗う静かな波の音と餌を求めて飛び交う蝙蝠の鋭い羽音、それと地の底に張りついたような幾万の虫のざわめきが世界を支配していた。
奥武島夜明け2
 5時20分頃だったろうか。ぼんやりとしていた水平線に噴水のような強い光の束が一瞬見えた。
奥武島夜明け3
 太陽が水平線の下で流れている雲に遮られたのだろうか。鋭い光の立ち上がりが消えて、東の空が一気に赤味を増してきた。朝日や夕日が赤くなるのは、太陽光線のスペクトルのうち、波長の短い青色が空気中の水分に吸収されるからである。
奥武島夜明け4
 5時45分、久米島の日の出。さざなみに西の空の濃青と太陽の赤い光を映して、最も美しい瞬間。
奥武島夜明け5
 後ろを振り返るとアダンの茂みの上に、まだ高く月が輝いていた。
奥武島夜明け6
 苔にも朝一番の光の恵み。
奥武島夜明け7
 暗闇ではちっとも気がつかなかったが、足元に浜昼顔の群落が花開いていたのだった。
奥武島夜明け8
 首が暑かった。足元を見ているすきに、どんどん日が昇る。海に熱のしずくを垂らしつつ。
奥武島夜明け9
 朝露が日に炙られて早くも消えていこうとしている。
カタツムリ
 カタツムリも朝のお食事タイム。そういえば satosi が沖縄勝連でたくさん見たというアフリカマイマイはここには居ないようだ。
 そうか良かったな。あれは恐いぞうぅ。(satosi)
青草
 もう、どうしてこんなに艶々しているんじゃ、というくらいに艶々。
椰子の実1
 ツキ、椰子の実に出会う。すっかり爽やか気分のツキは、腹も減ったなあ、などと感じながらも例の椰子の実が歌詞に出てくる童謡を鼻で歌っていたときのことだった。三歩先に黒々とした丸いものが座っていたのだ。鼻を近づけると濃い汐の匂いがする。
ちなみに那覇の公設市場ではヤシガニを売っている。沖縄に生息しているのか、輸入しているのか、それともこうした椰子の実と共に漂流して来るのかは分からん。付近におらんかったのか?(satosi)
椰子の実2
 ツキの頭の中は例の童謡で一杯になってしまっていた。とおーき、しーまよーり、なーがーれ、つーきたーる、と。ふと、水際を見やると、もう一個の椰子の実が波に洗われているじゃないの。あぁ・・、二つも居るなんて。歌詞とちょっと合わないなあ。でも、二つとも黒潮に乗って辿りついたんだなあ、やはりあの歌は本当の情景を歌っていたんだと、妙に得心がいったのである。
ヤシガニは食べると美味しいらしい。おらんかったのか、付近に?(satosi)
通学風景
 宿に帰り、「はての浜」への出発前に古いアルバムを見ていたら面白い写真を発見。この写真は昭和30年ころの通学風景とあった。宿のご主人に聞くと「潮が満ちている時のほうが、通学時間が早かったし、歩きやすかったですね。小学校の高学年になると、みんな竹馬でした。なんせ岸を歩いたら遠いですから。これなら学校までまっすぐですからね。もちろん子供だけで大人はみんな自分の舟を持ってましたからやりませんよー」と懐かしげに笑っていた。
さらりと仰るが、これは仰天カメ首物の写真である!(satosi)
記念写真
 ご主人の小学校時代(前列左端の少年がご主人)の記念写真。慣れぬ写真にはにかんでいるのか、困ったような顔をしている。この頃には、クラスの全員が竹馬通学をしていたそうだ。島は太陽光線がきついからなのだろうか、みんな眉毛の筋肉が発達?しているよ。
なんかミョーに暗いのが気になる。学校の名前は楽し気な「オ−分校」だが。(satosi)
入道雲
 空には見事な入道雲。まだ午前9時だというのに気温は30℃を超えていた。
桟橋事務所
 出船は10時だったが、何もすることが無いツキは早めに桟橋事務所に到着。実際暑くて、日陰にいても何もする気が起きないのであるが。
キャプテンとエリ
 本日、世話になるキャプテン糸数さんと姪?のエリちゃん。エリちゃんはつい最近二十歳になったばかり。カメラを向けたら「鼻の頭が剥けていて恥ずかしい」とか言っていたが、溌剌として可愛いネーネだ。それにしても黒い。あとから聞いた話では、キャプテンは元沖縄県警のデカさんだったそうで、どうりで大門サングラスが様になっていたわけだ。
ばかだなツキは、完全に騙されてるよ。このふたりは実は裏警察の世界ではチョー有名なバリバリのスーパーコンビで久米島のキャッツアイといったら桜田門あたりでも・・・(satosi)
出発
 さーて、時間だ。出発だ。
ほら、今、目配せしたろ? あれが合図だ(satosi)
ボート
 8人の客を乗せてボートは突っ走る。「はての浜」まで10分。
何をゆうておるか! この内二人はスパイだぞ! (satosi)
到着
 まもなく、「はての浜」に到着。エリちゃんは碇を投げる係りだじぇー、イエーイ。
あほか! 騙されていることにまだ気付かんのか! ジュウコウがおまえの背中を狙っているぞ! (satosi)
キャプテン
 「はての浜」への渡船は、糸数さんのところの「ハテの浜観光サービス」以外にホテル系列が幾つかある。「うちのボートが一番速いんだよ。エッヘッヘ・・」と、唯一生粋の久米島人が運営していることに誇りを持っている。他の渡船はホテル経営のためか、行き帰りの時間が決まっているが、糸数さんのところは、お客さんの都合で朝10時から夕方までの間、比較的自由に送り迎えしてくれるそうだ。「午後の飛行機とか船で着いてからでも、電話してくれたら桟橋まで迎えにいきますよ。夕日が見たいっていうお客さんもいるからね」
@ ハテの浜観光サービス
  090−8292−8854
グバガサ
 「写真撮って歩くなら、こいつを被っていきなよー」と、手渡されたのは久米島のグバガサ。グバという植物の扇状に広がった葉を二枚編みこんで帽子にしてある。ツキの見てくれはさておき、風通しが非常によい、快適な作業帽でした。昔は農作業や海仕事でみんな被っていたらしいが、今は作れる人があまり居ないんだそうである。
あーあ、とうとう手下にされちまった(satosi)
砂洲1
 だーれも居ない・・。目の前のこんなにキレイな浜に足跡をつけているのはオイラだけ。の、はずは無いが、なにせ、700メートルの砂洲に50人もいたのだろうか。人間は日陰のある掛け小屋の傍にだいたい集まっているから、砂洲の端のほうには殆ど人が居ないのだ。
砂洲2
 あくまでも白い砂浜。砂というより珊瑚と貝のかけらで砂洲はできている。
パラソル
 日陰が恋しくて、海辺のパラソルがこんなに好ましく見えたことも、これまで無かったような気がする。
砂洲の西
 砂洲の西側。海流の裏なので殆ど波が無い。左右50メートル以内にこの二人の他は撮影者のツキがいるだけ・・。
気を取られるな、そいつらは囮だ(satosi)
流木
 あぁ・・・、君も一人ぼっちなのかい? 流木だとわかっていたけれど、なんだか知っている誰かのシルエットのようだった。
あー、ばか、そいつが本物だ!、ギソウしているんだ、ばか!(satosi)
シルエット
 「プライベートビーチみたいよね」「・・・」「なんにも音がしないね」「・・うん」。
あほなことゆうちょる場合かーっ、ちゅうのっ!(satosi)
はての浜1
 地元の人達は沖に連なる砂洲全てを指して「はての浜」と言っていたらしいが、最近は、ツキがいるこの浜は通称「中の浜」、島に近いのが「前の浜」。中の浜からさらに沖に行った所が、はての浜というそうである。
はての浜2
 浜の端から端まで歩いた。海にも入らずそんなことをしているのは、オイラだけ。なんだか、だんだん人恋しさが募るのであった。
あぶないー、そっちへ行っちゃいかんー、ツキーっ!
小さな海
 所々に砂洲の中に取り残された小さな海。真水よりキレイに見えた。掬って舐めてみたら、清らかな潮の味がした。指先を何度かこの小さな海に浸し、いつまでもその潮の味を味わっていた。これまでの生涯で最高に美味い塩の味だった。
だめだあっ! そいつを舐めちゃいかんっ、舐めるな−ツキーっ!
旅の終わり
 旅の終わりは、緩慢な時間の中で初めて意識することができた。沖縄にきて5日たっていた。明日は東京に帰る。仕事でなく沖縄を旅しようとやってきたはずなのに、毎日どこかを走り回っていたような気がする。それはそれで良かったし、まだ見たい所も沢山あるにはあるのだけれど、最後に訪れた場所はそういう世知辛いことを全て忘れさせてくれる彼岸なのだった。味わうべし・・味わうべし・・・。帰りの舟はツキが起きた時に出してくれると、キャプテン糸数さんが言ってくれたのだ。心地よい海風が額の汗を乾かしていく。やがて浅い眠りに落ちながら、この旅の記憶をはるか遠くに思いだしていた。
 ツキがそれきり帰ってこなかったのは言うまでも無い。貴重なデジぶら会員を無くしたものだ。 ところで、デジぶら旅日記「沖縄」はこれで終わりである。随分重たいページに最後までお付合い頂き心より感謝申し上げる。また新たな旅に向かって策動中であるから請うご期待! なお沖縄特別編もよろしく!
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