築地 波除神社 つきじ獅子祭
天井大獅子御巡行
2001年6月10日
 
 
江戸時代始めごろ、築地の浜を埋め立てようとしたが、そこは波の荒い場所で工事は困難を極めた。ある夜、暗い波間に光を放ちながら浜に漂い着いたものがあるので拾い上げてみると、それは稲荷の御神体だった。人々は驚き恐れてさっそく社殿を造って祀ったところ、それまでの荒い波風が嘘のように治まり、工事を順調に終わらせることができた。以来この社を「波除(なみよけ)稲荷神社」と呼んで人々は信仰するようになったという。
 
 
築地、波除神社。そこは市場の場内と場外を結ぶ要衝でもある。
 
六月祓(みなづきばらえ)の茅の輪(ちのわ)。これをくぐって身を祓い浄める。
 
 
いつか神社には町会や大店によって獅子頭が奉納されるようになった。そのスケールも競って大きくなってゆき、祭りには担ぎ出して巡行したが、震災、戦災によってそのほとんどが失われた。今残っているのは嘉永元年(1848)築地南本郷町の島屋藤次郎が発起人となって制作された普通の大きさの金泥雄獅子、雌獅子一対のみである。現在、御巡行に出される大獅子は、関東大震災で消失したものを90年に復元した物で、高さ2.4m、幅3.3mの黒檜一木造り。重さは1トンに及ぶ。
 
 
 
1トンを担ぐ!
 
 
 
 
1トンを支える担ぎ棒はそれだけでも800キロからある。檜製で長さは8メートルと6メートル。合計4本。太さ約20センチの極太。各地の神輿を担いで回る担ぎ屋達にとってもこの大獅子は難物である。
 
 
 
三年に一度が本祭りで次回は平成十四年。この大獅子御巡行は陰祭である。平成九年に八十四年ぶりで復活した。波除神社を出発した大獅子は各町会を廻りながら渡御(とぎょ=次の町会に神輿を渡す)を続ける。かつてと同じように雌雄そろえ、本来の「つきじ獅子祭」を復興するために、今、雌獅子の制作が進んでいるそうだが、この巨大獅子が二頭そろって、そのうえ本社神輿も加わったらいったいどうやって担ぐのか、担ぎ屋達の間では疑問の声も上がっているようだ。
 
 
 
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