第一日目
1. 首里城
2.
瑞泉酒造株式会社 へ

 沖縄デジぶらのスタート第一発目は、まず琉球の王様に御挨拶しておこうでないの、ということでレンタカーで首里の丘を登った。首里城は、御存知のように沖縄の悪夢とも言える太平洋戦争において激しい砲火を浴び一度は完全に消滅した。その跡地には大学が建てられたりしていたのだが近年になって復興事業が進められ、まだ現在も復元工事は続行されているものの主要部分ではほぼその全容が蘇っている。
守礼門1
 10時30分。「守礼門」に到着。なんといっても今や那覇の重要な観光スポットである。朝も早よからわしわしと団体さんが丘を登ってくる。首里城の入り口「守礼門」前では早速記念撮影をなさる。民族衣装“紅型(びんがた)”のきれいなお姉さんや骨の折れ方もプロらしい黒雨傘までもちろんセットで楽しめる。
守礼門2
 衣装を借りての撮影もできる。炎天下でちょっと暑そうだが美しい着物を着た写真は郷へ帰ってからみんなに自慢するのには格好の材料であろう。このおばちゃんたちはたぶん笑いの材料になっていると思うが。
歓会門
 守礼門から100メートルほど歩くと(この100メートルがつらかったなあー!日ざしの強さに目が眩み、強烈な暑さに倒れそうになった)「歓会門」。これをくぐると“城内”という感じが強まる。勇壮な石組みが眼前に広がる。
門衛
 歓会門をくぐって、ふとわきを見るとこのおじさんが汗だらだら流しながらニカーって笑ってた。
瑞泉門
 おじさんから視線を右へ振り向けたところ。石段の上が「瑞泉門」。それを抜けて左に見えるのが「漏刻門」。石段の中程右側には「龍樋」という湧水がある。
龍樋
 「龍樋」。王宮の飲料水として使われた。首里一帯は湧水が豊富である。こんな山の上で水が湧くというのが不思議である。
那覇遠望
 漏刻門をくぐるとさらに高度は上がり、那覇市街が遠望できる。
奉神門
 「広福門」というのをくぐって入場料800円を払うといよいよ「正殿」への入り口「奉神門」。王様に会うにはたくさんの門をくぐらねばならない。門は改札を兼ねており、その奥に見えるのが正殿。
正殿
 復元なった「正殿」。思った程大きくはない。しかしこの時の暑さったら今思い出しても倒れそうになる。ま、そんなことはどうでもいいんだけど。
旧正殿
 これは大正後期に撮影された消失以前の正殿。説明書きにはこうある。
“琉球処分(1879年)後、首里城は陸軍省第六師団熊本分遣隊に接収されたが、明治42年(1909)に当時の首里区に払い下げられた。明治45年に場内に首里区第一尋常高等小学校が置かれ、正殿前の御庭(ウナー)は運動場として使われた。”
 お城の中をガキどもが走り回っていたわけである。この写真は実は那覇牧志公設市場の2階に展示されていたものである。
御庭
 一時は校庭にもされていたというウナー。新しい石が敷き詰められて見た目は美しいが、照り返しがきついのなんのって今思い出しても倒れそうに。
正殿模型
 琉球王朝が栄華を誇っていた頃は正殿前にこうしてたくさんの家来達が整列して平伏したという。熱中症で倒れる奴なんかもいたよな絶対。
正殿模型
 このおじさんは立ったまま気絶していた。
尚円王
 1400年代前半に琉球は統一され「琉球王国」が発足する。大和では室町時代中期の頃。城はこの前後から段階的に建設されてきたが、その設計思想の底流には風水があるという。山を背にし海に向かって気を流すようにした城郭配置は風水の観点から見ると最高のレイアウトだそうだ。その効果があったのか琉球王朝は450年間にわたって繁栄を続ける。しかし城そのものは1453年に完成して間もない頃に全焼したのを皮切りに過去4度消失を経験している。写真は資料展示室の「尚円王(在位1470〜1476)」
御差床
 正殿内部は撮影禁止なので何もお見せできないが、たまたまこれは月舘のカメラが誤作動を起こして写ってしまったらしいのだが国王が座る玉座「御差床(うさすか)」と思われる。誤作動なのでちょっとブレているしアングルもいまいちなのだが豊かな色彩や造りの豪華さが伺える。
城壁の道
 城の見学終わり。ううアチイアチイ。
やもり
「園比屋武御獄石門(そのひゃんうたきいしもん)」のやもり。
紅型の女性達
寄ってけ撮ってけ
ゴーヤーチャンプルー1
 首里城公園の駐車場兼レストセンターである「首里杜館」内のレストランで昼食にする。月舘は「ゴーヤーチャンプルー定食」。まあ特別うまくもないがまずくもなく無難にまとめられた味だそうだ。
ゴーヤーチャンプルー2
沖縄そば
 俺(satosi)はビールと「沖縄そば」。まあ特別うまくもないがまずくもなく無難にまとめられた味だった。
flowers1
首里城公園から程近い金城町の「石畳道」に行ってみよう。
石畳道1
 静かな住宅地の一角を曲がったところにある。その歴史は16世紀頃まで遡るとか。幹線道路の整備として造られたが、後段でご登場頂く瑞泉酒造の倉嶋さんによると、沖縄の土は粘土質で雨などが降ると滑りやすいので石を敷き詰めるようになった、という。
石畳道2
 非常に急角度な傾斜を持つ。ここでは絶対に転んではならない。一度転ぶと那覇市内の国際通りまで止まることができなくなるそうである。その分タクシー代は浮くが。
石畳道3
 この場所の雰囲気と自分の役割をよく心得ているのであろう。ぴたりとはまっているではないか、このシーサーは。ぜったいみんなこいつの写真は撮っていくものな。
石畳道4
 こんなネコでもその先祖を辿れば琉球王の膝で寝ていた可能性が高いという。なにしろ首里だし。
flowers2
午後は泡盛の名酒酒屋「瑞泉酒造株式会社」を訪れる。
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